2017年4月13日木曜日

新しい靴

新しい靴を買いまして、昨日今日と気分よくあちこち歩いていました。
・個人経営的な小さな店
・大手チェーン店の靴売り場
・ネット通販
とだいたい3つ選択肢があったわけですが、結構迷った末に真ん中の「大手チェーンの靴売り場」で買いました。
まず商品が届くのに時間がかかることと実物を事前に履くことができないことをおそらく最安値であろう価格と勘案して、「ネット通販」を除外。
次の2つは正直かなり迷ったけれど、店員さんはどちらも親切で値段も同じだったので、最終的にはタイミングと付与されるポイントが決め手となりました。
ミズノのちょっとお高いウォーキングシューズ。
長時間歩いても疲れない靴を、とリクエストしたところ薦められた中でデザイン・履き心地に一目惚れしたものを購入しました。
当初の予定よりも3000円くらい出費が嵩みましたが、大切に、存分に歩いて元を取ろうと思います。
いい買い物をすると気分がいいですね。
ちょっと世の買い物好きの方々の気持ちが少しだけわかったような気分。
何かと物騒な情勢ですが、出来る限り前向きに日々を楽しんでいけたらと―実際に自分に出来ることも少ないので―思っています。

2017年4月7日金曜日

名言集

omnia vincit Amor et nos cedamus Amori.
恋は万物を打ち負かす。だから我々も恋には譲るべきだ。
―ウェルギリウス『牧歌』10番

se cupit imprudens et, qui probat, ipse probatur.
dumque petit, petitur partiterque accendit et ardet.
彼は何も知らずに己を欲する。
そして褒め称える自分自身が褒め称えられる。
彼は求める一方で求められ、
燃やすと同時に燃え盛る。
―オウィディウス『変身物語』第3巻

sit tibi terra levis.
土があなたにとって軽くありますように。
―埋葬に際して述べる祈りのことば

libera te primum metu mortis: illa nobis iugum imponit;
deinde metu paupertais.
si vis scire, quam nihil in illa mail sit, compara inter se pauperum et divitum vultus;
pauper saepius et fidelius ridet.
君を死の恐怖から解放したまえ。死は我々をくびきにかける。
次に貧乏の恐怖からだ。
もし君がどれほどにまで貧乏に悪が存在しないかを知りたいと望むなら、貧乏人と金持ちの顔つきを互いに比べてみたまえ。
貧乏人のほうがはるかにしばしば、人を信じきって笑う。
―セネカ『道徳書簡』
(逸見喜一郎『ラテン語のはなし』より)

テクストの意味を真に理解してもらうには、少なくとも60年は待たなくてはならない。それが、年来の学説史研究を通じて得ている、私の実感である。何かを書いて、同世代人に理解してもらうのは、それほど難しい。「原作」を虚心坦懐に読んでくれるのは、まだ見ぬ先の後輩たちである。そのとき作者はそこにいない。

「今日吾々の見るものは、レオナルドォが画いた上を、湿気と抹草とが怖るべき加工を為したものであり、レオナルドォが筆を措いた日の現状は、如何なる人も最早再び見ることは出来ない」
「遠い昔にレオナルドォが画いたものを、今、吾々が見ると言うのは、この無限なる絵画の意味の同一性を確信することである」

「問題は、その偉大なる画家が、レオナルドォと言う名を持っていた人であるか否かではない。この偉大なる絵画を画き残した画家があることである。それを疑い得ないのは、如何なる歴史的知識に拠るのでもなく、自分が夫れを見るからである」
「この絵をレオナルドォが画いたと言うのは、吾が表象としての視覚的意味を過去に返して考えるのである。過去とは然し、客観化せられた意味の意志である。之を名付けてレオナルドォと言うのである」
―植田寿蔵「原作と複製」(1930年刊)
(石川健治「レオナルドォ」法学教室2013年6月号巻頭言より)

―「私」という言葉がある以上、それが意味するものはあるでしょう。しかしいまの「私」と昨日の「私」が同じ「私」であることを証明することは原理的にできない。
―「私」という言葉の意味を支えているのは、「私が私である」という記憶と、他者が私を私とする認識が一致したまま持続していることだと思う。そういう条件を解体して、たとえば坐禅のように極端に自意識の水準を落とすこともできますが、そのときでさえ何もないわけではない。何ごとかが起こっている。
 もうひとつ別のアプローチをするならば、「私とは何か」と問うときには、その問いを問う主体が残っている。その主体は何かと問うと、こんどは「「私とは何か」と問う私とは何か」という問う何か……という話になって無限遡及に陥る。
 結局、「私」という言葉が意味する何かは、いつまでいっても確定せず、言語の外へ流れだしていってしまう。それは、もはや存在するとかしないとかという言葉が届かない領域であり、理論のなかに引きこめない。この状況は「無我」としか言いようがないと考えるのです。

―なるほど。問う主体、観察する主体の無限遡及のことは私も考えることがあります。最終的にそれが問題にならないのは、キリスト者は「神の前に立つ私」というところに足場を据えるからでしょう。神が私を知ってくれているということですね。お話を聞いていて、そう思いました。
(南直哉・来住英俊『禅と福音』2016年刊より)

◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間も無い程 生きるのは最高だ あまり泣かなくなっても ごまかして笑っていくよ 大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない 大丈夫だ この光の始まりには 君がいる
【ray】BUMP OF CHICKEN

誰かの掲げた旗を 目印にして 大人しく歩くけど 作った旗も隠している このまま終わるものだってなんとなく悟り 笑って歩くけど 作った旗が捨てられない
【Butterfly】BUMP OF CHICKEN


哲学っちゅうのは「なぜ生きるんか」とか「善とはどういうことなんか」とか、人間なら誰でもぶち当たる疑問に答えてゆく学問ですよね? 近所のおばちゃんおっちゃんにもわかるように話をすることができて、納得してもらえる。それがほんまの哲学っちゅうもんやないでしょうか。哲学の祖と言われるソクラテスさんの残した言葉がこんなややこしいままやとあかんのではないでしょうか?
(「前口上」プラトン著・北口裕康訳『関西弁訳 ソクラテスの弁明』より)

2017年4月6日木曜日

光明、巧妙、高名

水の中に深く沈んでいくような、
井戸を淡々と掘っていくような、
塔を慎重に積み上げていくような、
山を大胆に切り拓いていくような、
ダムを一滴一滴水で埋めていくような、

知識を貯えていくこと、自分の世界を形作っていくこと、それを言語化して人々に伝えていくこと、研究や学問と言われる営為は大きく分けてだいたいこの3つに集約される。
研究とは基本的に孤独で内省的なものだが、それをどのようにイメージするかは人それぞれということなのだろう。
学問によって研究者の性向が異なるのは当然のこととして、同じ分野の探求者であっても色々な学問観をもって多彩なアプローチで取り組んでいる様は興味深い。
求道的に資料と向き合い続ける人もいれば、多くの人からの聞き取りを核に据えて研究する人もいる。
どれが正しくどれが誤りだとか、どれが優れてどれが劣っているといった平面的な関係性では表せない世界なのだろう。
専門家の傍らには実務家や愛好家が別のアプローチから考察を深めていたりして、それらの相互作用が新たな成果を生むことも多い。
そうした知的な営為の輪の中に自分の居場所を見つけることが出来たらいいと思いつつ

今日はひとつ、自分にとって光明が差すような出来事があった。
巧妙に張り巡らされた運命の必然か偶然か、自分の目の前にあらわれた奇跡を信じて、次の奇跡に向けてバトンを継いでいきたい。
高名な人からも、今はまだ無名の人からも、たくさんの気づきと学びを受け取って、日々前進していけたらと願う。

Le pessimisme est d'humeur ; l'optimisme est de volonté.

『悲観主義は気分のものであり、
楽観主義は意志のものである。
およそ成り行きにまかせる人間は
気分が滅入りがちなものだ』


アラン 『幸福論』
http://meigen.shiawasehp.net/a/alain01.html

10代の頃に出会って強烈な刺激を受けたことば。
どの本で読んだのか、誰の訳だったのか定かでないけれど。
学部時代にフランス語を選択したのは無意識に彼の影響を受けていたのかもしれない。

2017年4月1日土曜日

FOX DAY

今日はFOX DAYらしいです。
何のことなのかよくわかってないのはBABYMETALファンとして恥なのかもしれないので大っぴらに言えませんが。
ツイッターのプロフには書いてるけど基本的にアイドルが結構好きで、男女ともに好きです。
赤西仁と山口百恵が引退しちゃった人では好きで(仁君はすでにアイドルではないでしょう)
今活躍している中だと欅坂とSEXY ZONEが好きで
BABYMETALとBUMP OF CHICKENは好きだけどアイドルなのか違うのかよくわかってない(アイドルという言葉の幅がとにかく広いので愛されキャラの多いBUMPもアイドルと言い張ろうとすれば不可能ではない気がしている)

APRIL FOOLなる消えつつあるイベントの当日でもあるので、何かいろいろと悪戯をしかけてくる人がいるかもしれませんが、今日も一日、憂鬱な雨の日を楽しく過ごしましょう。
センスのいい嘘って滅多に目にしないけど、それかかわいい嘘にでもお目に掛かれるといいかなあ。
わたしは某所で今月は1日1冊くらいに抑えると宣言したものの、あれはどうやら嘘というか、訂正することになりそうです。
色々とまだ予約本が届いたりするし、勢いづいていて急ブレーキはあまり良くない気がするので。