音楽業界の次世代は誰が担うんですかね。
そろそろ秋元康のひとり勝ちも終わるのではないかと期待。
期待と言いつつ欅坂を応援している訳で別に秋元康のセンスは嫌いじゃないんですが、やっぱり長く続くと限界が来るのではないかと。
その意味では阿久悠の引き際は惜しくもあったけど立派だったんじゃないですかね。
秋元康の引き際はあまり綺麗な形にならなそうな気もするけど、広げた大風呂敷をどうまとめるのか、要注目ですね。
秋元康の歌詞は自分が書きたいことを書いているのか、女の子に歌わせたいことを書いているのか、なんとなく売れそうなことを書いているのか、時代を作ろうとしているのか時代の波に乗ろうとしているのか時代を追いかけているのか、とかスタンスがよくわからないので何だか好きと言い切れないもどかしさがあるけど、欅坂の楽曲に関しては歌詞も含めて結構好きですね。
本当は秋元康と阿久悠を比較しつつ論じて歌詞について何か言えればいいと思ったんだけど、そんな見識もこれから資料や音源を渉猟して書きあげようという熱意も足りず、こんなよくわからないメッセージ性に欠ける文字の羅列になってしまったという・・・
誰かが秋元康とミスチルの桜井和寿について、歌詞が説明的過ぎる、言葉が言いすぎていて想像の余地がないと批判していて、その通りだと思った。
それに対して、その大衆性が彼らの特徴であり長所なのだからそこを批判されても、みたいなファンからの応答もあって、まあそれもそうなのかな、とも。
でもたしかにわかりやすさがもてはやされすぎる風潮がしばらくありましたね。
池上彰から林修の系譜というか。
難しいものをわかりやすく説明するというのは、記述の混乱を正したり表現を工夫することである程度可能ではあっても、ある程度までの話で、いわゆる「わかりやすい」とされている説明はだいたい、勝手に単純化したり一面的な解説で満足したりと説明が不十分で「わかりやすい」だけのしょうもないものが多くて辟易してしまいますが。
でもそれも最近は少しずつ飽きられてまた流れが変わってきたのかな、と。
それに割と本質を変えることなく本当にわかりやすく解説してくれる人や本も少しずつ増えてきているようですし。
そう思うとよい変化もわるい変化もいずれはいい方向に進んでいくと信じてとりあえず変化を肯定するという革新の人々の考えも一理あることなんですかね。
私は小心者なのでなかなかその域には行けない気がしますが、あまり細かい変化に一喜一憂するのはやめようかと思います。
さて、話が逸れにそれたけど、J-POPの次にはどんな時代が来るのか、誰がそれを担っていくのか、楽しみですね。
2017年3月14日火曜日
2017年3月13日月曜日
このごろ思うこと
結構いろいろな本を読んで
映画やアニメ、ドキュメンタリー、バラエティにトークショーといろいろなTV番組を眺め
あまり触れたとのない分野の雑誌や音楽に親しみつつ
家族と散歩したり昼寝したり日向ぼっこしたりと充実した御隠居ライフのような日々を過ごしてきたわけですが。
ここらで自分のこと、世界のこと、時代のこと、何でもいいけど思っていることを漠然とまとめておきたくなったのでそうしようと思います。
まず、わたしにとって何が大切で残りの人生で何と向き合って生きていくのかということ。
大切にしているというよりも、当たり前にそこにないと困るものとして健康と家族、それに言葉と音楽といったものがあるように思う。
健康についてはちょっと前に風邪を引いて今もまだ全開とはいかないけど、体が弱ると心も弱る。
元々気分屋なところもあるのでなおさら、体が健康じゃないとすぐにくよくよしてしまう。
体力づくり・健康の源はよく寝てよく食べて適度に運動をすること。
他にもいろいろとプラス事項はあるけど、最低限この3つには気をつけていこうと思う。
次に家族。
なんだかんだ言って一番お世話になっていて、迷惑をかけられて、面倒だけどなくてはならない存在だな、と自然と思うようになった。
前は友達の方が大事!と思ってたけど、今でも勿論大事だと思うけど、実際、ちょっといろいろなものと距離を置いて、友達とも会ったり連絡したりしなくなってしまったけど、別にたまに懐かしく思うし会いたくなるけど、友達ってオプション的なものでマストではない気がする。
でも家族は離れがたいし、離れていてもいつでも存在を気にしているというか。
程度の差でもちろん、友達のことは頭の片隅にあるし、向こうもそうだと信じてるけど。
言葉というのは自分に割合固有の関心事だと思う。
日本語に関心が強いし、他の言語についても興味は強い方だと思う。
言葉の可能性に惹かれるというか、日常の会話や文章というよりは、小説、戯曲、演劇、落語、詩、歌、評論、等々のことばの魅力に惹かれるし、自分もそういう作品が持つような言葉の力を何らかの形で表現したいと思う。
それがどんな形なのかはちょっとわからないし、ちょっと頑張っただけで叶うような目標だとも思ってないけれど。
音楽については基本的に受動的に。歌うのは好きだけど別に得意でもなんでもないので、歌を聴いたり演奏を聴いたり、結構学問的な頭なので作曲の理論とかは勉強してみたいと思うけど、それも曲を作りたいというよりは音楽を別の角度から楽しみたいという気持ちから。
音楽と感情はかなり密接につながっていると思っていて、(たぶん自分の中で最初にそれを指摘したのはドラえもんのワンシーン。押しつけがましくなく説得的な、教育的に優れた漫画だった。)音楽を日常的に聴いていたら精神的に落ち込むことはあまりないのではないかという気がしている。
うちの家族はあまり音楽が好きじゃなくて、五月蠅いと言われることが多いのでひとりのとき以外は抑えめにしているけれど。
と、自分のことはこの辺で終えようと思うけど、思いの外長くなってしまった。
世界と言ったけど、世界について思うのは、世界について語ることができる人というのは世界に何人いるのだろうということ。
偉そうなジャーナリストや学者が世界や時代について提言や現状報告をしているけれど。
どれも一面的で浅い理解に立ったものに見える。
語りえぬものについては沈黙しなければならない、などと言っていると何も語れず現状を追認するばかりになってしまうというのもまた事実なのだろうが、それにしても言葉の軽さが目立つように思う。
権威ある人がわからないことについてはわからないと認め、詳しい人を見つけ出してその人に頼るということが自然になされるようになれば、もっと有益な情報が色々と示されるのではないかと思う。
本当はもっと考えるべき課題が自分にはあることは理解しているが、それについてはあまりに個人的であり秘匿されるべき類のものだと考えるので、この場ではここで一端筆をおくことにする。
映画やアニメ、ドキュメンタリー、バラエティにトークショーといろいろなTV番組を眺め
あまり触れたとのない分野の雑誌や音楽に親しみつつ
家族と散歩したり昼寝したり日向ぼっこしたりと充実した御隠居ライフのような日々を過ごしてきたわけですが。
ここらで自分のこと、世界のこと、時代のこと、何でもいいけど思っていることを漠然とまとめておきたくなったのでそうしようと思います。
まず、わたしにとって何が大切で残りの人生で何と向き合って生きていくのかということ。
大切にしているというよりも、当たり前にそこにないと困るものとして健康と家族、それに言葉と音楽といったものがあるように思う。
健康についてはちょっと前に風邪を引いて今もまだ全開とはいかないけど、体が弱ると心も弱る。
元々気分屋なところもあるのでなおさら、体が健康じゃないとすぐにくよくよしてしまう。
体力づくり・健康の源はよく寝てよく食べて適度に運動をすること。
他にもいろいろとプラス事項はあるけど、最低限この3つには気をつけていこうと思う。
次に家族。
なんだかんだ言って一番お世話になっていて、迷惑をかけられて、面倒だけどなくてはならない存在だな、と自然と思うようになった。
前は友達の方が大事!と思ってたけど、今でも勿論大事だと思うけど、実際、ちょっといろいろなものと距離を置いて、友達とも会ったり連絡したりしなくなってしまったけど、別にたまに懐かしく思うし会いたくなるけど、友達ってオプション的なものでマストではない気がする。
でも家族は離れがたいし、離れていてもいつでも存在を気にしているというか。
程度の差でもちろん、友達のことは頭の片隅にあるし、向こうもそうだと信じてるけど。
言葉というのは自分に割合固有の関心事だと思う。
日本語に関心が強いし、他の言語についても興味は強い方だと思う。
言葉の可能性に惹かれるというか、日常の会話や文章というよりは、小説、戯曲、演劇、落語、詩、歌、評論、等々のことばの魅力に惹かれるし、自分もそういう作品が持つような言葉の力を何らかの形で表現したいと思う。
それがどんな形なのかはちょっとわからないし、ちょっと頑張っただけで叶うような目標だとも思ってないけれど。
音楽については基本的に受動的に。歌うのは好きだけど別に得意でもなんでもないので、歌を聴いたり演奏を聴いたり、結構学問的な頭なので作曲の理論とかは勉強してみたいと思うけど、それも曲を作りたいというよりは音楽を別の角度から楽しみたいという気持ちから。
音楽と感情はかなり密接につながっていると思っていて、(たぶん自分の中で最初にそれを指摘したのはドラえもんのワンシーン。押しつけがましくなく説得的な、教育的に優れた漫画だった。)音楽を日常的に聴いていたら精神的に落ち込むことはあまりないのではないかという気がしている。
うちの家族はあまり音楽が好きじゃなくて、五月蠅いと言われることが多いのでひとりのとき以外は抑えめにしているけれど。
と、自分のことはこの辺で終えようと思うけど、思いの外長くなってしまった。
世界と言ったけど、世界について思うのは、世界について語ることができる人というのは世界に何人いるのだろうということ。
偉そうなジャーナリストや学者が世界や時代について提言や現状報告をしているけれど。
どれも一面的で浅い理解に立ったものに見える。
語りえぬものについては沈黙しなければならない、などと言っていると何も語れず現状を追認するばかりになってしまうというのもまた事実なのだろうが、それにしても言葉の軽さが目立つように思う。
権威ある人がわからないことについてはわからないと認め、詳しい人を見つけ出してその人に頼るということが自然になされるようになれば、もっと有益な情報が色々と示されるのではないかと思う。
本当はもっと考えるべき課題が自分にはあることは理解しているが、それについてはあまりに個人的であり秘匿されるべき類のものだと考えるので、この場ではここで一端筆をおくことにする。
小林秀雄賞
何というか、統一感がない。
小林秀雄が生きていたとして評価する類のものはいくつあるだろうか、とか。
小林秀雄賞作家(と仮に呼ぶことにする)同士でリスペクトしあうことは可能なのか、とか。
前者については他の多くの文学賞についても同じだろうが、後者の問いが自然に出てくるのはなかなか珍しいのではないか。
対談ものっぽいもの(小澤征爾・村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」)まで選ばれているのは懐の広さをたたえるべきなのか節操のなさを嘆くべきなのか、いずれにせよ変った賞だと思った。
発表媒体だった「考える人」は休刊が決まったようだったけど、今後この賞はどうなるのか少し気になるところ。
小林秀雄賞 過去の受賞作品
http://www.shinchosha.co.jp/prizes/kobayashisho/archive.html
小林秀雄が生きていたとして評価する類のものはいくつあるだろうか、とか。
小林秀雄賞作家(と仮に呼ぶことにする)同士でリスペクトしあうことは可能なのか、とか。
前者については他の多くの文学賞についても同じだろうが、後者の問いが自然に出てくるのはなかなか珍しいのではないか。
対談ものっぽいもの(小澤征爾・村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」)まで選ばれているのは懐の広さをたたえるべきなのか節操のなさを嘆くべきなのか、いずれにせよ変った賞だと思った。
発表媒体だった「考える人」は休刊が決まったようだったけど、今後この賞はどうなるのか少し気になるところ。
小林秀雄賞 過去の受賞作品
http://www.shinchosha.co.jp/prizes/kobayashisho/archive.html
- 対称性人類学 カイエ・ソバージュV中沢新一
- 会社はこれからどうなるのか岩井克人
- 文章読本さん江斎藤美奈子
2017年3月10日金曜日
演出術―蜷川幸雄
演劇の言葉には何か、言葉では説明できない力を感じる。
考えてみると言葉というのは元々、話し言葉であり、小説や論文が人々に受け入れられるよりもずっと前から、演劇という言葉のあり方は存在していた。
そうした長い歴史のなかで、役者たちが、演出家たちが、そして観客たちが一体になって追求してきた何か。
それこそが演劇の力なのかもしれないと思った。
惜しまれつつ亡くなった稀代の演出家、蜷川幸雄のインタビューをまとめた本。
彼の言葉を聴いていると(読んでいると)シーンが目に浮んだり、心が動かされたり、強い言葉の力を感じる場面が多かった。
長年、演劇と体当たりで向き合って来た人だけに、演劇の持つ混沌とした力が本人にまで乗り移っているのだろうかと半ば本気で思った。
一度講演会を聞いたことがあって、そのとき以来ファンを自認していたものの、結局生の舞台を見る機会は失ったまま逝かれてしまった。
考えてみると言葉というのは元々、話し言葉であり、小説や論文が人々に受け入れられるよりもずっと前から、演劇という言葉のあり方は存在していた。
そうした長い歴史のなかで、役者たちが、演出家たちが、そして観客たちが一体になって追求してきた何か。
それこそが演劇の力なのかもしれないと思った。
惜しまれつつ亡くなった稀代の演出家、蜷川幸雄のインタビューをまとめた本。
彼の言葉を聴いていると(読んでいると)シーンが目に浮んだり、心が動かされたり、強い言葉の力を感じる場面が多かった。
長年、演劇と体当たりで向き合って来た人だけに、演劇の持つ混沌とした力が本人にまで乗り移っているのだろうかと半ば本気で思った。
一度講演会を聞いたことがあって、そのとき以来ファンを自認していたものの、結局生の舞台を見る機会は失ったまま逝かれてしまった。
2017年3月4日土曜日
目標
軽いものから重たいものまでいろいろと本や雑誌を渉猟していると、結構現実的な知恵というものは馬鹿にできないと思うことがある。
ファッション誌でモデルさんが目標を20個とか30個ばっと列挙して○○歳までに叶えるぞ!と力瘤を作っていたりするけれど、ああいうのも実はかなり大事なことなのかもしれない。
ということで目標を10個くらい考えてみたい。
・とりあえず今月で200冊くらい本に触れる
・日本語について古典・外国語との絡みで理解を深めてみたい
・将来につながる形で仕事と向き合ってみたい
・10年後の自分の姿をもう少しクリアにイメージしてみたい
・そろそろ健康と体力に気を遣うべきかもしれない
・ファッションとか芸能とかあまり縁のない世界にも目を向けていきたい
・洋書を月に1、2冊くらいは読破したい
・何か人の目に触れても問題ないレベルで論稿を定期的に書きたい
・短歌でも現代詩でも歌詞もどきでも何でもいいけど何か詩作を試みてみたい。詩人を理解するためにも
・小説か脚本を書いてみたい。上に同じ。
たぶん、何も言わないよりは言った方が前向きだし、言うだけよりも実際に格闘した方が前向きなんだろう。
最後のとかは生涯実現するかわからないけど、意識の片隅にはなるべく置いておくことにしよう。
最初のもの以外は全部言い切れずに煮え切らないかたちになってしまったけど、最初だし仕方ないのかな。
もうちょっと具体的な目標を挙げられるように意識を持って行ったほうがいいのかもしれない。
ファッション誌でモデルさんが目標を20個とか30個ばっと列挙して○○歳までに叶えるぞ!と力瘤を作っていたりするけれど、ああいうのも実はかなり大事なことなのかもしれない。
ということで目標を10個くらい考えてみたい。
・とりあえず今月で200冊くらい本に触れる
・日本語について古典・外国語との絡みで理解を深めてみたい
・将来につながる形で仕事と向き合ってみたい
・10年後の自分の姿をもう少しクリアにイメージしてみたい
・そろそろ健康と体力に気を遣うべきかもしれない
・ファッションとか芸能とかあまり縁のない世界にも目を向けていきたい
・洋書を月に1、2冊くらいは読破したい
・何か人の目に触れても問題ないレベルで論稿を定期的に書きたい
・短歌でも現代詩でも歌詞もどきでも何でもいいけど何か詩作を試みてみたい。詩人を理解するためにも
・小説か脚本を書いてみたい。上に同じ。
たぶん、何も言わないよりは言った方が前向きだし、言うだけよりも実際に格闘した方が前向きなんだろう。
最後のとかは生涯実現するかわからないけど、意識の片隅にはなるべく置いておくことにしよう。
最初のもの以外は全部言い切れずに煮え切らないかたちになってしまったけど、最初だし仕方ないのかな。
もうちょっと具体的な目標を挙げられるように意識を持って行ったほうがいいのかもしれない。
2017年3月3日金曜日
江藤淳全対話1~4
江藤淳という人は生まれながらの批評家のような人だったと思う。
今の時代に批評家が存在するのか疑問に思うのは、彼を念頭に、その水準を想定してしまうことがその原因かもしれない。
しかし彼の生きた時代にはたしかに批評が存在した。
小林秀雄、福田恒存、河上徹太郎などとともに江藤淳がいた時代に自分も生きていたら楽しかっただろうと思うと残念だが、かえってこうして先達として仰ぎ見ているくらいが平和でいいのかもしれない。
中でも江藤淳の言葉は綿密な準備と緻密な論理に裏打ちされた重みのある発言が多い。
2巻の頭に収録された大江健三郎との対談が何とも言えず印象的だった。
今の時代に批評家が存在するのか疑問に思うのは、彼を念頭に、その水準を想定してしまうことがその原因かもしれない。
しかし彼の生きた時代にはたしかに批評が存在した。
小林秀雄、福田恒存、河上徹太郎などとともに江藤淳がいた時代に自分も生きていたら楽しかっただろうと思うと残念だが、かえってこうして先達として仰ぎ見ているくらいが平和でいいのかもしれない。
中でも江藤淳の言葉は綿密な準備と緻密な論理に裏打ちされた重みのある発言が多い。
2巻の頭に収録された大江健三郎との対談が何とも言えず印象的だった。
2017年3月2日木曜日
青い鳥―メーテルリンク/江國香織
チルチルとミチルの冒険と言えば、多くの日本人が親しんできた物語。
戦前世代がワクワクと目を輝かせて語る傍らで、私たちはたしかにいい話だと思うけどちょっと古臭くて…と言い出せずにもやもやした気持ちを募らせてきた。
…柄にもなく「私たち」を騙ってしまったが、少なくとも自分は、そういう思いをそっと押し殺す場面を一度ならず経験したように思う。
そんな中、満を持して登場したこの新訳を前に、ついに祖母が語るワクワクを自分も体験することが出来た気がする。
ハラハラドキドキ、冷や冷やしたりわくわくしたり先が気になって早く頁を捲りたくて気が急いて、でもまだずっとこの世界に浸っていたくて読み終わるのが惜しい。
久しく覚えていない子供の頃の時間を忘れて本を読んだ感覚が甦るようだった。
ティルティルとミティルの不思議な冒険に、貴方も一緒に出掛けてみてはいかがですか。
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