2017年9月6日水曜日

マネジメントについて

・今働いている会社、といってもいくつかあって、そのどれもが自分の眼から見ると大なり小なり、マネジメントに問題を抱えているように見受けられる。
とはいえ、そもそもマネジメントとは何なのか、いかにあるべきなのか、それを達成している会社がどれほどあるのか、等々考えてみると、 社会契約説における自然状態ほどの理念系ではないにしろ、完璧なマネジメントというのも一種の理念系、イデア界にしか存在しえないもの、という気もしてくる。
完璧なマネジメントというものは存在しない。ちょうど完璧なオムライスが存在しないように。
村上春樹風にまとめてみようと試みたけれど、全然そんな感じにならなかった。
この前読んだカップ焼きそばの本の著者はよく勉強していたのだろう。

・マネジメントがしっかりとしていないと、居心地の悪さを感じてしまう。
 座りが悪いというか、それがどうしても嫌かというと違うのだけど、何だか落ち着かない感じがする。
 自分はたぶんそちらの方の仕事(マネジメント)がそれほど苦手なたちではなくて、でもそういった仕事にあまりやりがいを見いだせないので、いわゆる専門職というような働き方をしている。
要するに、そういう仕事は出来て当然だと思っている部分があって、だからこそその部分を他人に任せて自分は自分をマネジメントしつつ自分の専門性を磨いているということになる。
なので、そういった仕事を任せている人が自分の思う水準に達していないと何だかがっかりしてしまう。
もっとも、会社にとってはその逆で、マネジメントとかを担当している人達が基幹社員ということになっていて、自分のような専門職に(どうでもいいとはさすがに思っていないと思う)仕事を任せていて、それが彼らの思う水準に達していないとがっかりする、といった構造なのだろう。

・立場が人をつくる、ということは明確な事実で、だからこそ、マネジメントとスペシャリストが完全に雇用形態からして異なるという仕組みはあるいは合理的なのかもしれないけれど、相互の不信や対立を招きかねないという点でやや不合理なような気がする。
実際、マネジメントへの不信は日々増していっているのが実際のところ。
特にあんまりだと思うところは、そろそろ潮時かな、とも思いつつ、関係性をどうするべきか考えている。

・昨日は久々に泳いだ。心地よい疲労感と翌朝の筋肉痛が懐かしい。
さっき何気なく使った「自分をマネジメントする」ということば、自分を律して高めていく、目標に向かって自己実現していくということは意識的にやっていきたいと思う。
20年後、30年後、後悔しないような今を過していきたい。

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