2017年4月6日木曜日

光明、巧妙、高名

水の中に深く沈んでいくような、
井戸を淡々と掘っていくような、
塔を慎重に積み上げていくような、
山を大胆に切り拓いていくような、
ダムを一滴一滴水で埋めていくような、

知識を貯えていくこと、自分の世界を形作っていくこと、それを言語化して人々に伝えていくこと、研究や学問と言われる営為は大きく分けてだいたいこの3つに集約される。
研究とは基本的に孤独で内省的なものだが、それをどのようにイメージするかは人それぞれということなのだろう。
学問によって研究者の性向が異なるのは当然のこととして、同じ分野の探求者であっても色々な学問観をもって多彩なアプローチで取り組んでいる様は興味深い。
求道的に資料と向き合い続ける人もいれば、多くの人からの聞き取りを核に据えて研究する人もいる。
どれが正しくどれが誤りだとか、どれが優れてどれが劣っているといった平面的な関係性では表せない世界なのだろう。
専門家の傍らには実務家や愛好家が別のアプローチから考察を深めていたりして、それらの相互作用が新たな成果を生むことも多い。
そうした知的な営為の輪の中に自分の居場所を見つけることが出来たらいいと思いつつ

今日はひとつ、自分にとって光明が差すような出来事があった。
巧妙に張り巡らされた運命の必然か偶然か、自分の目の前にあらわれた奇跡を信じて、次の奇跡に向けてバトンを継いでいきたい。
高名な人からも、今はまだ無名の人からも、たくさんの気づきと学びを受け取って、日々前進していけたらと願う。

Le pessimisme est d'humeur ; l'optimisme est de volonté.

『悲観主義は気分のものであり、
楽観主義は意志のものである。
およそ成り行きにまかせる人間は
気分が滅入りがちなものだ』


アラン 『幸福論』
http://meigen.shiawasehp.net/a/alain01.html

10代の頃に出会って強烈な刺激を受けたことば。
どの本で読んだのか、誰の訳だったのか定かでないけれど。
学部時代にフランス語を選択したのは無意識に彼の影響を受けていたのかもしれない。

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