2017年5月10日水曜日

私から私へ

差支えない範囲で少し自分語りをしてみようと思う。
上手くいくかわからないし気に食わなかったらすぐに消すかもしれないが、少しだけお付き合い頂きたい。

私は昔から、あまり同世代の輪にあまりうまく入れない子供だった。

と、こう書いてみて一人称にあまりピンと来ていない自分に気づく。
基本的に話言葉では一人称をあまり使わないようにしているが、書き言葉で正確性や誤読可能性を思うと(一)人称が要求されることがある。
そのとき語り手として選択する人称は本当は「僕」を用いたい気持ちがあるが、「僕」としてしまうと少年ないし青年期の気取った人格を想起させてしまい、男女を問わない中性的な語り手が用いる人称としてはやや不適な気がする。
同様の理由で文章において「俺」や「小生」その他の一人称を使いたいとは思わない。
ということで想定される人格の広い「私(わたし)」を用いることになるのだが、この「私」は日常における普段の「わたし」とはある種別個の人格として「語り」を担当しているので、普段の「わたし」と同じ音の「私」を用いることにも抵抗があるのかもしれない。

話が逸れた。

多分それで多くの本と向き合うことになったのだが、本とばかり接していると自然と同世代の一般的な興味と自分の興味があまり合わなくなっていく。
もちろん異世代にも自分と同じ興味関心の人はさほどいるわけではないのだが、元々「違う」ことが想定された他者との関係は、同質性が想定され自分もまたそれを密やかに期待している同世代との関係よりも楽なものだったのだろう。

もちろん同世代の友達のことは大切に思っていたし、良好な関係を築けるように努力もしていた。
ただ、どこか腹を割って話せない、本当に話したい類のことは腹の底に押しとどめて表面的な会話に終始しているような感覚を抱えていた。
そしてそのまま大学に進学し、一縷の望みを掛けていたそこでも状況があまり変わらないことに絶望的な想いに囚われた。

結局のところ、人はそれほど深く共感し分かり合っている訳ではないのかもしれない。
そう気づいたのはごく最近のことで。
それまでの自分はいつも、自分だけが世界の不幸を背負いこんでしまったような空虚を幸せの陰に抱えていたように思う。
冷静に見れば、或は他人が似たようなことを言っていれば、僕だって馬鹿だなと笑うと思う。
でもそのときの僕には、世界の何よりも重要な問題がそれだった。
たぶんそれくらい幸せで、その幸せの大切さに気づけなかったんだろうと今なら思うけれど。

何でこういうことを語りたくなったのかは上手く説明できない。
ただ、きっかけは旧友―同世代の中ではそれなりに気が合って色々と世話になっている―からの連絡であることは確かだと思う。
今の自分は比較的世界に絶望せずに自分に過度な期待をかけて疲弊せずに楽しく過ごせていると思うけれど(主観的な満足)、外から見れば昔の苦しみの中にすり減らしていた自分の方が或は上手く折合をつけて賢く生きていたように見えていたかもしれない(客観的な評価)。
今後の課題は自己評価と他者評価を徐々に近づけていくことが必要なのかもしれないと思っていて、それは内面的な意味合いでもそうだし、社会的な意味でもそうで、要するにもっと外面的にも人生の成功者を目指していこうということ。
本の中に沢山の―うまく呼称がみつからないけれど―友人、先達、仲間、を見つけることが出来たことは、今まで生きてきた中での貴重な財産だと思うけれど、これからはそうした存在を大切にしつつ、同時代の人々との関係性において自分の価値を、位置を、ひとつひとつ築き上げていかなくては。

と小難しい表現で煙に巻いてみたけれど、要するに人よりも10年くらい大人になるのが遅れているんだろうと思います。
最近やっと色々と、昔同世代の友達が興味を持ってた内容に興味が湧いてきたり、やっと自分の中で中心的な興味についての勉強が一区切り出来つつあったり、昔友達に大器晩成という言葉を貰ったことがあるけど、いつまでも未完のまま終わらないようにそろそろ完成を急がないと。

自分に関心を持ってくれる友人はやはり大切にしたいとこの文章を書きつつ色々と反省しました。
ちょっと面倒とか思っちゃったけど、久々に会ってみるかー

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