2017年5月15日月曜日

最近思うこと。―映画 ダ・ヴィンチ・コードを聴きながら

一応<あなた>の眼を気にして書いているとは言っても、だいたい独り言のようなことしか言わないのであまり他人の眼を意識していると言えないかもしれない。
それとは別に毎度だいたい頭の中をリフレッシュしていて、と書けば聞こえがいいが前に何を言ったかほとんど忘れた状態で綴ることが多いのであまり整合性も取れていないかもしれない。
とはいえそのときどきの気持ちに嘘はない形で言葉を積もらせていっているので、総体として読んでもらえればあるいは<わたし>という人間のありかたが解読できるものになっているのかもしれない。

さて。
最近思うこと。

・同時代の優れた、あるいは気が合う人と出来るだけたくさん交流/交友を持つにはどうしたらいいのかと考えることがある。
人は孤独で生きていけない、とはよく言われることだが、数だけ揃えればどんな相手でもいいという訳ではない気がする。自分の評価軸において優れていると思える人物、尊敬できる人物、一緒にいて気が休まり互いに励まし合えるような人物と関係を深めたいものだと思う。

・渡部昇一氏が亡くなって。何だかいつまでも仙人みたいに生き続けていきそうな人も、やっぱり死ぬんだなと思った。尊敬する演出家の蜷川幸雄も昨年亡くなった。
平川祐弘とか山崎正和とか高齢で存命の優れた方々は結構多くて、たぶんほとんどの人とは実際に会って話をしたりする機会はもうないと思うけれど、何か同時代をこうして生きているからこそできることはないのかと思う。たとえば著書の感想を丁寧に綴って手紙を送ってみるとか。

・マクロン仏大統領は39歳だという。自分とはだいたい10年くらい歳が離れていて、10年という差をどう捉えればいいのか実は自分の歳だとまだよくわかっていないところがある。
第一印象はやや軽薄な感じがしてあまりよくなかったけれど、聞こえてくる評判はそう悪くない様子。政治家としての力量はおのずと知れてくるだろうが、それはそれとして自分は10年後、どのような人格で何をなしているのか、何が出来るのかと思わされる。自分も政治家になりたいわけではないが政治に関心を抱く者として、また同時代を10年差で走る者として、フランスの大統領に40歳前の人物が就くということはとても大きい意味を持つように感じる。

・未承認国家について
2014年頃の法学教室に慶応SFCの廣瀬陽子氏によるロシアのクリミア編入に関する記事が載っていて、なかなかよくまとまっていて面白かったので著者の本を何冊か読んでみた。
NHKから出ている未承認国家についての本が面白かった。
よく世界には~ヵ国あって、という話をするとき、国連加盟国を「ひとつの指標として」用いるけれど、北朝鮮や台湾といった身近な国(あるいは地域)を考えただけでもそれが相対的なものにすぎないことがわかる。
そして旧ソ連やアフリカなど世界各地には「未承認国家」という国家と認めるべきかどうか問題になっている主体があり、その存在は無視しえないという話。
古くは日本と満洲国の関係もこの括りに入るのだろう。

・哲学と数学、思想史と数学
理系の人が書いた文系的な話題の本と言うのはなかなか興味深いことが多い。
本の感想は基本的に別所にすべて記しているのでここでは書名等に触れないが、数学者の書いた経済や思想史に関する記述や哲学者と数学者の対話など、ここ数日で触れた文章に強い知的刺激を味わった。

・海外で活躍している若手研究者というのは想像以上に多いのかもしれない
若手、というのは本当に若い、30前後の人とか。大学の同期でも少なくとも一人、同じ学部から海外で研究職に就いた人がいる。例外的なものかと思っていたけれど、特に経済系を中心に予想以上に多くの人が海外で活躍されている様子。頭脳流出を嘆くべきなのか優秀な人が世界(と言いつつ大体アメリカという気もする)における日本のプレゼンスを高めてくれていると称賛するべきなのか、個人の選択として素直に受け入れるべきなのかわからないが、単純な感想としてはそれだけ高い能力を発揮し努力を怠らず狭き門を潜り抜けて第一線で活躍する同世代や先輩たちは素晴らしいと思うし羨ましい。とはいえ自分はその波には乗り損ねてしまったので、自分の<位置>を慎重に見極めてふさわしい役割を演じていきたい。

・人生は長いような短いような
祖母が少し体調を崩した。元気な人でもう快方に向かっているが、年齢が年齢だけに色々と考えてしまうこともある。翻って自分のことを考えてみても、人生がせいぜい100年だと仮定して歳を経るごとに1年の価値/(主観的)長さが減じていくものだとすると、たぶんもう人生の体感的な時間としては過半に達してしまったのではないかと思う。また、時計的な時間においても普通に生きて3分の1は過ぎたことになりそうだ。
人生の意味はきっと人それぞれで、誰もが納得するような人生の意味などないのだろうと考えるに至ったのがひとつの成長なのかもしれないが、これから先の人生、何を学んで何をしてどう生きていくのか。色々な本を読んだり散歩というにはやや負荷の高い運動をしたり音楽と触れ合ったりしつつ考えていることが多い。どうせ結論など出ないだろうと、最善は脇に置いてとりあえず次善に向けて行動していこうと考えているあたり、やはり少し大人になったのかもしれない。そういう訳で、今は体力向上と健康増進、言語習得といった人生の基礎固め的なところに力を注いでいる。

相変わらずとりとめのない話題でタイトルに困るが、とりあえずここで筆を置くことにする。

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