2017年5月8日月曜日

過渡期の続く時代~ドラマ ダウントン・アビーを見ながら

古き良き時代という言い方が定型化している一方で、様々な指標から見ると今こそ歴史上もっとも幸福な時代である・あるべきであるという主張がなされることも多い。
しかし幸福が経済的な豊かさその他の合理的な指標のみで決まるものでないことは同時代の富豪と貧しくも慎ましやかな幸せを享受している人々を見比べれば容易に想像できるところだろう。
ある人は、人は社会の変換期、社会構造が変化して生き方の見本がどこにも求めにくい時代に不安が増大して幸福を求めるのが困難になると説く。
この考えはそれなりに説得的である。
そして戦後の70年というのは少なくとも日本人にとっては、また恐らくは世界中の人々にとって、変化に次ぐ変化、転換に次ぐ転換の時代であり、豊かさや新たな価値観が普及してその物質的・精神的な豊かさを享受する一方で、伝統が破壊され共同体のあり方が変わり続ける中で自分と世界の関係性のあり方を1人ひとりが探していくことを強いられ、不安定な状況に置かれていたとも言えるのではないかと思う。
あなたは何をしてどのように生きなさい、と生まれながらに決められている社会というのは、時に理不尽で自由が過少であるが、それを人が奴隷の幸福と呼ぼうと呼ぶまいと、たしかな安定感・安心感があったのも事実ではないかと想像する。
今は逆に、自由が溢れている時代だ。
性の自由、政治の自由、職業の自由、結婚の自由。
自由が溢れるということは、すなわち求められる責任や倫理もそれに応じて高度化・多様化するということだろう。
人々は自由の肥大に精神、行動において対応しきれずに、自由の海に溺れているようにも映る。
戦後という時代は常に変革が続く、過渡期が永続する時代だった。
しかし私が知らないだけで、もしかしたらその前の時代も同様に変化の波が人々を押し流そうとしていたのかもしれない。
ただ、戦後の国際社会は戦前に比較してより一層、国際化の波が強まり、世界標準に合わせた社会変革が進んでいった。
そして今、その行き過ぎが顕在化して逆流の動きが国際的に広がっている。
そうした逆流の波すら国際的なトレンドとして波及してしまうというのは皮肉な話だと思う。

アメリカ合衆国はトランプを大統領に選び、連合王国、イギリスはEU離脱を決定した。
フランスでは大統領はグローバル・エリートのマクロンに決まったようだが、極右と称される反グローバリズムの急先鋒、ルペンが多くの支持を集めた。
新大統領はこうした国内の人々の声を無視することは出来ず、難しい舵取りが予想される。
日本国内にいるとマスメディアも学者も批判的な言説ばかりだが、世界を見渡せば日本ほど政治が安定している国は少ない。
イスラム諸国は不安定でシリア難民の問題もISの問題も解決の目途が立たない。
北朝鮮は挑発的な行動を続け、南朝鮮、韓国は親北・反日と目される候補が大統領に選出されることがほぼ確定的になった。
日本を取り巻く世界情勢はますます複雑化、混迷を強めるようにも映るが、これからの5年、10年、どんな世界が広がっていくのだろう。
不安ばかり書きつけてしまった気もするが、実際のところ期待感も強い。
人が生きていく上で一番大切なものを幸福と捉えたのはアリストテレスだったか別の哲学者だったか。
(たしか臆病と蛮勇の中間に勇気という徳を見出した)彼が言うように正しい道というのは両極端の中間に存在するように思う。
グローバリズムとナショナリズムの中間、というかいい所取りというか、人々の幸福に繋がるような正しい道を世界は見つけることができるか。
ここ10年の大テーマはそのあたりになるのだろう。

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