2017年6月24日土曜日

最近の雑感

タイトルはまあ基本的に毎度それを書いているので今更タイトルにするまでもないのですがそれくらいしか思いつかなかったので。

・将来についての話
また振り出しに戻ってしまった感があって、とりあえず想定していた医学部再受験/編入の道はやや後退してしまいました。
やはり6年ないし5年という修学年数は人生100年時代とは言え随分と長いです。
特にこの時期の数年はかなり重要な時期だとも再認識するに至ったので、仮に学生生活を送るにしても勉強一色ではなく色々とこなしておきたいことがあって。
そうすると当然かなり忙しくもなるので体力的にも精神的にもかなりしんどくなることが想定されるし、或いは当初の計画通りの生活を送ることは出来ずに妥協してしまい、勉強以外の部分は犠牲になることも懸念される。
とするとそこまでして医学・医療の世界にこだわるモチベーションの核が今の自分にあるのか、ということになって、考えてみるとそこまで強い意識ではないのではないか、といったところ。
→ここ1、2年は複数の試験・課題に並行してやや幅広く取り組んで結果が出た中からその時点で最善と思われる道を選択していく、といった感じになるのではないかと思っています。あまり関心を拡散させるのもよくないとは思うのですが、どうも自分で自分の道を狭める方向で選択するのが得意でないことを自覚していて、後から振り返ったときに後悔が少ない道を歩もうと考えた結果、現状ではこれがベストな選択だと考えました。もちろん多くの選択肢を排除しないということはひとつの選択肢あたりの投下できる資本・時間等は少なくなってしまうということであり、それは甘受した上で優先順位をつけて資源を選択的に投下していく感じになるかと思います。と、こう書いてみてどれだけ読み手に伝わるのかわかりませんが、自分の中ではひとつ、後退した形で暫定的な結論が出ました。

・中学生~高校生~高卒生を指導してみて
自分には中学生の指導はやや難しい、という現状把握。
小学生ならただ可愛がってるだけでもいいところがあって、それはそれで楽しいのですが、中学生になるとそれなりに学校の勉強が難しくなってしっかりと指導しなければならない一方、勉強にまだそこまで真剣になりきれていない子が多いので、モチベーションがなかなか上がらない生徒に付き合っていかないといけないのがしんどい、というのがひとつ。あとは高校受験を経験していない上に簡単な問題を確実に得点する、という試験にさほど意義を感じないということもあって、高校受験の指導に自分のモチベーションが上がらない、ということもあるかもしれません。
高校生になってくると自分も今勉強し直しているし、生徒も大学受験を意識し始めて勉強に熱が入ってくるので、教えていて結構楽しいことが多いです。年齢的にも大人と子供の中間という感じで、やや大人な側面も出てくる時期なので、授業の合間に雑談等をしていても話がかみ合って楽しいというのもあります。
高卒生はちょっと年の離れた弟、妹、あるいは年下の友達みたいな感覚で接することが出来て、一番やりやすいです。当然浪人してまで大学を目指しているのでモチベーションが皆高いのも大きいかな。
→今ちょっと大学生向けの指導に応募していて、これで採用が決まると自分の中ではかなり大きく前進した感じになります。やはり自分が全力で教えられるのは年齢的にも内容的にも大学生くらいがちょうどいいのではないかという気がしていて、自分の経験・能力が現時点では一番生かせる職場になるのではないかという期待があります。

・そろそろ1000冊
登録してない本があったり二重にカウントされている本があったり、あくまで目安ですが、読書記録サイトで登録してきた本がもうすぐ1000冊になります。
新年割合すぐに登録した気がするのでもうすぐ半年といったところ。
平均5、6冊読んでいる計算になって、よくそんなに読んだな~と自分でも少し呆れてしまいます。
ここ5、6年はほとんど本を読まない時期もあれば集中的に本を読んでいる時期もありましたが、いずれにせよ自分なりに学びを深める期間だった気がしています。
幅広く自由に読書や思索に時間を費やせたこの期間は自分を大きく成長させてくれた気がしていて、この経験を活かして次のステージに進んでいけたらいいのではないかと考えています。
→ひとつ自分の中で確定している予定(英語で言うと現在進行形であらわす未来、みたいな感じ?)として、後期から放送大学で科目を取っていこうと考えています。
いままで自分の中で色々と問題意識があってそれを主に読書を通じて深めてきたわけですが、それを体系的にとらえ直す機会として大学の講義・試験・単位認定という一聯のシステムは有益だと思います。
本当は大学院に修士(博士前期課程)として入学することも考えてはいるのですが、まずは後期(秋)から半年間、学生の感覚を取り戻すためにも放送大学で何個か講義を取ってみます。
渋谷や横浜等の学習センターで生の講義も多く行われているようなので、場合によってはそちらも受講するかもしれませんが、現時点では放送科目の【日本政治思想史】【ロシアの政治と外交】を受講予定です。

・小林麻央さん追悼
お疲れさまでした。色々な人にいろいろな影響を与えて最期は静かに去って行かれました。
正直何のためにブログなんかやるのかな~とも思ってたけど、こうしてあっという間に逝ってしまうと、遺される家族のためにも何かかたちあるものを残したかったのかな、という気もして何だかしんみりしてしまいます。お疲れさまでした。ご冥福をお祈り申し上げます。
ツイッターというのはその時点での思いをことばにして保存するのによく適した媒体ですね。
麻央さんにとってのブログも似たような意味を持っていたのではないでしょうか。
多くの人の目に留ることを、そして何より遺していく家族へのメッセージとしての意味合いを込めて丹念に綴っていたのだろう、と思うといろいろと想いが溢れてきて何も言えなくなりそうです。

小林麻央ブログ

https://ameblo.jp/maokobayashi0721/

「妹が見てくれているから」小林麻耶、看取った翌日に笑顔で収録

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170624-00000001-sanspo-ent
麻耶は昨年5月から看病と心労による体調不良で休養するも、今年4月に仕事復帰。パーソナリティーを務めていた「LOVE-」に7月3日から復帰することを発表していたが、くしくも妹の死から一夜明けた23日が復帰収録と重なった。

 複数の関係者によると、麻央さんが在宅医療に切り替えた先月から妹の自宅に実母と住み込み最期を看取った麻耶の心労は計り知れず。収録延期も検討されたが、自ら参加を決断したという。

 麻央さんは、自身が亡くなったら姉は仕事ができなくなるのではと心配していたといい、それを知った麻耶は「妹が見てくれているから」と奮起。先月末のイベントでは「テレビでぶりっ子をして妹を笑わせたい」と語っており、表舞台で頑張る姉の姿を楽しみにしていた妹を思い、収録では笑顔を絶やさなかった。

 <市川海老蔵 会見全文&一問一答>小林麻央さん最後の言葉、子どもたちの様子…「麻央はどこまでも愛していてくれた」

https://mdpr.jp/news/detail/1695790
― 最後、ご自宅で見送ってあげられたのは良かったなと思うのですが。
それはとても良かったと思います。お母さんもお父様も、私も、お姉さんの麻耶さんも子どもたちもずっと一緒にいたのでそれはすごくよかったなと思います。私の父は病院で亡くしているので、病院のときとは違う、家族の中で家族とともに一緒にいられた時間っていうのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います。
― 海老蔵さんにとって、麻央さんの存在はどんな存在でしたか?
市川:うーん…私のどんな部分も、どこまでも愛していてくれたんだなって。存在っていうのは…まあね、存在ね…出来ればずっと一緒にいて私の方が先に逝って、家内にはもっと幸せに、もっと楽しくご家族やお友達、お母さんお父様、そして私が役者として成長していく過程をずっと見守っていってもらいたかった存在です。 
 ― 麻央さんから学んだこと大切なことを、これからどうやって伝えていきたいですか?
元気になったら彼女は、自分が歩んできた病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらばこうしたい、ああしたい、多くの人を救えるような存在になりたいと一生懸命闘病していました。それでブログというものも始めたんですよ。だから本当にマスコミさんのおかげで、ある意味公になって本当にありがたかったと思います。
それでブログというものを始めて、同じ病の人や苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合っている妻の姿は、私からすると人ではないというか、なんていうんですかね…すごい人だなって。言い方はおかしいですけど、総合的に教わったこと、そして今後も教わり続けることは愛なんだと思いますね。


小林麻耶、妹・麻央さん「世界一愛しい存在」 ブログで思いつづる 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170626-00000343-oric-ent

2016年6月26日 小林麻耶 公式ブログ記事 

https://ameblo.jp/kobayashi-maya/entry-12287209844.html
”6月22日最愛の妹が旅立ちました。

生まれた時から可愛くて可愛くて、どうしてこんなに妹が好きなんだろうと自分でも不思議に思ってしまうくらい心の底から大好きでした。

世界一愛しい存在です。

いつも優しくて、穏やかで、あたたかくて、自分のことより人を気遣う妹。私の絶対的な味方で、一番の理解者。そんな存在がこの世からいなくなってしまった寂しさ、悲しさは計り知れません。正直、この現実を私は受け止めることができずにいます。
”これまで妹が教えてくれた...

当たり前のことなど何ひとつない
日常の有り難さ
命の輝き、尊さ
愛に生きるということ

ひとつひとつ噛み締めながら
妹がいない現実とともに
生きていきたいと思います。”
”これまで妹を応援してくだった皆様
妹が力強く前向きに生きた証のブログ、
これからも時々訪れていただけたら幸いです。

本当に本当にありがとうございました。”

”2016年6月26日
小林麻耶”

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