2017年1月21日土曜日

日本の車窓から

個性とは何だろう。久しぶりに乗った車のなか、ふとそんな問いが浮かんだ。
個性は大事なもの。皆さん個性を大切にしましょう。
そんな感じの暗黙ないし明示的な合意があるけれど、個性の中身について語られることは意外と少ない。
個性は人に特有のものだろうか。
動物にも個性はあるだろうか。
ライオンに、個性はあるのだろうか。
ライオンの生態は、メスとオスでは違いが明白だが、オス同士・メス同士での個体差の表れはあまり聞いたことがない。
足の速いライオンは狩りで活躍して王になるかもしれない。
臆病なライオンは狡猾な狩りで名を馳せるかもしれない。
しかし、それは彼らの個性なのだろうか。
身体的特徴、それに付随する当然の帰結、その域を出ないのではないだろうか。
もちろん私が、あるいは人類が知らないだけで、哲学好きのライオンや音楽好きのライオン、様々なライオンがいるのかもしれない。
けれど、人間のように様々な考えを持ち、それを言語で表現し、時に論争し時に共感しあうような動物は地球上に(或いはこの宇宙に)他に在るのだろうか。
もしいるとすれば、独自の言語を持つと噂されるイルカくらいだろうか。

イルカというと、欧米の人々が殊更に好む動物のひとつだ。
なぜ彼らが海豚を好むのか、なぜ彼らが好む動物を独善的に保護しようとするのかわからないが、豚や牛、場合によっては羊や鶏で胃袋を満たす彼らは日本人が鯨を捕まえて食すことに目くじらを立てる。
それもまた、彼らの個性として尊重しなければならないのだろうか。
個性と個性がぶつかりあったとき、強者が弱者を喰いちぎる以外の方策を、実際のところ我々はいまだ見出していない。
個性はいつどのように生まれるのか。
教育による後天的な獲得が大きいのか、生まれつきの才能が大きいのか。
国民性というものが語られるが、それは生得的なものか、或いは後天的なものなのか、いかなる理由で形成されたものなのか。
個性は個人だけでなく、集団、国家レベルでも付きまとう。
違いがあるところ全てに個性が表れるということならば、個性を常に尊重することなど可能なのだろうか。
また、個性に優劣、軽重は存在しないのだろうか。
個性。この2文字で表現されるものと我々はどう向き合っていくべきなのだろう。
車の後部座席で窓の外を見ながら、そんなことをぼんやりと考えていた私もまた、個性的な人間なのだろうか。

(追記)
*Wordで書いたものを貼り付けたら書式やフォントが変になっていたので標準に直しました。その際再読して違和感のある箇所について、一部表現を改めました。

世界の車窓からという番組と、おそらくそのparodyであろう星野源のいのちの車窓からにinspireされた表題だったのだろうと思いますが確証はありません。(2017.6.8)

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