2017年1月22日日曜日

陽気な子供が世界を回す

象徴的なことがあった。
トランプ大統領、当時はまだ次期大統領候補だったが、に対してバイデンが大人になれと言ったと報道されたのだ。
大人。また論争的な言葉を選んでコメントしたものだ、と溜息をついた。
大人って何だろう。
日本では元々20歳になれば、最近は18歳になれば、大人として一人前だと扱われる。
もっと前には元服と言って15歳頃(11-17歳)になれば大人と見做された。
みなす、という言葉からもわかるように、年齢で急に大人らしさが身につくわけでも何でもない。
扱いにくいから年齢で切ってそれ以下は未熟な子供、それ以降は成熟した大人、と割り切って定めているに過ぎない。
それはアメリカでもどこでも、同じことだろう。

だから、現にバイデンの属した民主党政権はお子様ばかりの夢想家の集まりだった。
オバマ政権を見直す動きが世界的に広がっているようだが、不思議なことだ。
世界の警察官を降りると、問わず語りに宣言して、中国やロシアに誤ったシグナルを送った。
結果として日本やフィリピン、オーストラリアなどアジア太平洋の同盟国を中国の海洋進出の危機に晒し、ウクライナ問題やシリアの内戦ではロシアにしてやられた。
中東紛争をこじらせ、IS(全くもって表記が安定しない)による世界中でのテロ拡散を食い止められなかった。
このような政権を世界の指導国たらんとするアメリカ国民の60%が最終的に支持するなど、正気の沙汰とは思えない。
トランプ大統領はアメリカ第一主義を掲げているが、そちらの方がよほどわかりやすくていい。
世界のためと言って世界の平穏を掻き乱す夢想家の退場を世界は祝福するだろう。

大人。子供の対概念でもあるこの言葉。
そもそも、大人な政治家、指導者、知識人の方が少ないのではないか。
大人とは分別のつく、言ってみればおとなしい人のことだろう。
しかし大人は子供の暴虐の前に、得てして無力だ。
泣く子と地頭には勝てぬ。
この理屈で行くと子供であればあるほど、赤子に近づけば近づくほど強いかのように思える。
現に夢想家オバマの主張は子供っぽいと評されるトランプの前に無力だった。

私は何も、子供大人を礼賛するつもりはない。
トランプはもっと大人な態度を見せるべきだと思うし、オバマももっと現実を見据えて夢を語るべきだったと思う。
また、反トランプ活動にいそしむアメリカ人は地球の恥としか思えない。早く冷静になって民主主義の精神と法令遵守の姿勢を取り戻してほしいと願うし、それは政権のスキャンダルに感情を爆発させている韓国民についても同じだ。
もっと言えば、イスラムの名をかたりテロ行為を繰り返すISが大人になって自らの無謀と無茶に気付いてくれれば、世界は手っ取り早く平穏を取り戻して団結して地球規模の諸問題に取り組めるのではないかと期待する。

しかし、こうした希望は幻に過ぎない。
彼等はこれまで子供のままだったし、これからも子供で在り続けるだろう。
それが一番楽であると同時に、一番賢い態度だと世界が認めてしまっているからだ。
オバマの夢想に対して、正面から、君、そんなことを言っても無駄だよ、もっと大人になれよ、と言った人はどれほどいただろうか。
ほとんどのメディアはそんな苦痛から逃げて、代わりに彼を称賛した。
彼がアメリカを、世界を、彼の夢想通りに変えてくれると本気で信じた人はほとんどいなかったが、無責任に期待をかけた。そして裏切られ、米国には一層の分断が生まれ、世界には更なる混沌、無秩序がはびこった。
トランプについても、構造はさして変わらないように見える。
真摯な批判はほとんどなされず、些末な部分を切り取って面白おかしく批判するか、全面否定で憎悪の声を上げるものばかりが目立つ。

私には昔から、世界が不思議なものとして映った。
大人が真面目な顔をして不合理なことばかりしていることがテレビ画面や新聞の紙面を通して伝わってきた。
しかし、そのことに周りの誰も不満の声を上げない。一部の人がおかしいと声を上げると、支配者側のメディアに袋叩きにされる。
メディアというのは悪いやつらで、この世界で一番権力を持っていて、支配が壊されそうになると徹底的に弾圧するんだな。
子供の自分にも、それだけはよくわかった。

そうして大人になってみると、メディアの支配は綻びどころか気づいたら瀕死のものになっていた。
インターネットの普及がメディアを過去の遺物へと変えてしまった。
日本を貶め、代わりにどうしようもない国々を賛美してきたメディアが亡びるのはいいことだろうと思った。
もっとも、メディアはそれでもなお大きな影響力を持っている。
さらに、これは大人になってから知ったことだが、日本のメディアは世界的にはとんだお子様に過ぎなかった。
親玉はユダヤ資本に牛耳られ、世界中にネットワークを構築して反政府・反国家運動とグローバル化運動を推進する巨大メディアだった。
考えてみればすぐにわかることだが、国を持たない、持たなかったユダヤ人にとって国民国家というのはいまいましくて仕方のないものだろう。
ユダヤ資本のメディアが反体制、反国家主義に堕するのはいわば当然の道理だった。
今のイギリスの欧州連合を離脱して主権国家に立ち戻ろうとする動き、アメリカのアメリカ第一主義をメディアが一大キャンペーンを張って批判するのも、ユダヤ資本が裏についていたことを考えるとそういうものか、と納得してしまう

世界はグローバル化の波に覆われた。
メディアや知識人はそれを肯定的に見るとともに、歴史の必然と説く。
なるほどグローバル化は、人々に概して言えば不幸よりも幸福をもたらしたかもしれない。
見方にもよるが、そのことに関してはメディアにもそうした価値判断を行う自由があろう。
しかし私がわからないのは、それを歴史的必然とまで言い切る欺瞞、傲慢がまかり通ってしまうことの不可思議だ。
端的に言って、この命題は偽だろう。
そもそも歴史に必然などあろうはずもない。
こうして人間が進化の末に誕生したことすら奇跡だ。
その先のことまで神が決めたと断じることなどできるはずがない。
必然とは要するに、全知全能の神が決めたと言い切るのと同じだろう。
日本人として、非キリスト教徒としてこのような考えを歴史に持ち込むことには納得できない。
かつて歴史の必然ということを言い出した学派があった。
マルクス主義者たちだ。
彼らと今のグローバリゼーション礼賛派が同じだとは言いたくないが、何についてもそれを絶対視して憚らなくなったら、学問ではなく信仰ではないか。

話があっちこっち行って言いたいことが半分も書けなかったが、とりあえずここで筆を置くことにする。
思いのほか、思考を思い通りに方向づけて結論まで書ききるというのは難しい。

(追記)
色々と認識が今の自分から見ても稚拙な部分があって、本来であればお蔵入りさせてしまってもいいところ。
細かいことを言い出したら何一つ正確な認識に基づいた言葉は表れていないようにすら思われる。
とは言えいちいち非公開にしていたらきりがないので、表記を一部改めた以外はぼそのままにしてあります。
あくまで執筆時点での見解ということで、ひとつご了承ください。(2017.6.8)

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