2017年3月14日火曜日

歌謡曲からJ-POP、そして・・・

音楽業界の次世代は誰が担うんですかね。
そろそろ秋元康のひとり勝ちも終わるのではないかと期待。
期待と言いつつ欅坂を応援している訳で別に秋元康のセンスは嫌いじゃないんですが、やっぱり長く続くと限界が来るのではないかと。
その意味では阿久悠の引き際は惜しくもあったけど立派だったんじゃないですかね。
秋元康の引き際はあまり綺麗な形にならなそうな気もするけど、広げた大風呂敷をどうまとめるのか、要注目ですね。
秋元康の歌詞は自分が書きたいことを書いているのか、女の子に歌わせたいことを書いているのか、なんとなく売れそうなことを書いているのか、時代を作ろうとしているのか時代の波に乗ろうとしているのか時代を追いかけているのか、とかスタンスがよくわからないので何だか好きと言い切れないもどかしさがあるけど、欅坂の楽曲に関しては歌詞も含めて結構好きですね。
本当は秋元康と阿久悠を比較しつつ論じて歌詞について何か言えればいいと思ったんだけど、そんな見識もこれから資料や音源を渉猟して書きあげようという熱意も足りず、こんなよくわからないメッセージ性に欠ける文字の羅列になってしまったという・・・
誰かが秋元康とミスチルの桜井和寿について、歌詞が説明的過ぎる、言葉が言いすぎていて想像の余地がないと批判していて、その通りだと思った。
それに対して、その大衆性が彼らの特徴であり長所なのだからそこを批判されても、みたいなファンからの応答もあって、まあそれもそうなのかな、とも。
でもたしかにわかりやすさがもてはやされすぎる風潮がしばらくありましたね。
池上彰から林修の系譜というか。
難しいものをわかりやすく説明するというのは、記述の混乱を正したり表現を工夫することである程度可能ではあっても、ある程度までの話で、いわゆる「わかりやすい」とされている説明はだいたい、勝手に単純化したり一面的な解説で満足したりと説明が不十分で「わかりやすい」だけのしょうもないものが多くて辟易してしまいますが。
でもそれも最近は少しずつ飽きられてまた流れが変わってきたのかな、と。
それに割と本質を変えることなく本当にわかりやすく解説してくれる人や本も少しずつ増えてきているようですし。
そう思うとよい変化もわるい変化もいずれはいい方向に進んでいくと信じてとりあえず変化を肯定するという革新の人々の考えも一理あることなんですかね。
私は小心者なのでなかなかその域には行けない気がしますが、あまり細かい変化に一喜一憂するのはやめようかと思います。
さて、話が逸れにそれたけど、J-POPの次にはどんな時代が来るのか、誰がそれを担っていくのか、楽しみですね。

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