2017年2月18日土曜日

言い切る人と煮え切らない人

何でもかんでも知ったことのように話し、それでいて何も責任を取らない人がいる。
そういう人は優れた部分があっても誤りとそれを量産する言葉の軽さに相殺されてどうにも始末に負えない。
朝日新聞が人々に支持されない理由はそういう側面が大きい。
誰とは言わないが、そういった朝日新聞的知識人は多い。

一方で、何も自分の意見を言おうとせず、誰かから聞いた、何かで読んだ意見でしか語れない人も信用できない。
その人が生身の人間としてどういった考えを持ち、どう行動するのかが見えてこないからだろうか。

駄目なものはよくわかるけれど、相応しい形というのは日々探っていかないとなかなか見えてこない。
石原慎太郎の本を読んでいて、釈迦は人を見て説法をしろと言ったと知った。
たしかに思い返してみると、ある人にはうまくいった話し方で他の人とはうまく嚙み合わなかったりすることは多い。
語彙のレベル、比喩のとりかた、調子、声の大きさ、等々人には人の選好があって、それに合わせてチューニングして適切な接し方をするのがあるべき姿なのだろう。
固有性と普遍性、両方を意識して自分なりのベストを尽くすことが一番なのだろうか。

基本的に自分の考えの仕方だと誰かの言ったアウフヘーベン的なところに結論することが多い気がした。

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