今の社会は論理が何かと幅を利かす。
法律、科学、数字、統計。
固いもの、正しそうなものが重んじられ、それらに当てはまらないものは迷信、陰謀論、感情論として嫌われる。
その一方で巷には迷信としか思われないものが綺麗にラッピングされて実しやかに語られている例が少なくないようにも見える。
論理と感性、これは考える上で車の両輪のようなものだろう。
どちらが過剰でも真っすぐに進むことは難しい。
論理は男が得意だとされ、女は感性に秀でるとも言われる。
この対比が正しいかわからないが、人によってその比重に差があるのは確かだろう。
恩田陸が面白いことを言っていた。
人には皆、男の子の部分と女の子の部分がある。それを使い分けることで色々な物語を紡いできた―そんな趣旨だった。
彼女の書く文章の変幻自在には驚くばかりだが、これは意識的に自分の思考を切り替えることで達成されたものらしい。
最近は女も男と同じ世界で戦い、女々しい男の歌がもてはやされるらしい。
男女の差が縮まってきているのだろうか。
ただ、男女の強いられた差異がなくなるのは望ましいことだろうが、それが女に男のふるまいを、男に女のふるまいを強いるものになっていないか不安になることがある。
何だかまとまりのない文を並べただけになってしまった。
タイトルをつけるとしたら何になるだろう…
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