2017年2月23日木曜日

言葉

言葉は意識的にせよ無意識にせよ、嘘をつくために存在している。
真実と嘘に区分するのなら、語られたものは全て嘘だろう。
自分の気持ちを言葉は正しく表してくれないし、それを受け取る人には言葉に表されたものすらまともに伝わらない。

便宜的に人々は正しいことの幅を広くして、嘘を片隅に追いやって生きているが、それも生活の上では賢いやり方なのだろう。
しかし、すべてが所詮は嘘でしかないことを思うと、殊更に「嘘」を糾弾することも虚しく思えてしまう。
文化大革命当時の中国では毛沢東語録がすべての「正義」であり「真実」であった。
正義や真実を外部化した結末はおぞましいものだったが、大なり小なり、国が国としてまとまっていくためには神話が必要とされるのもまた事実だろう。
近代国民国家ではそれが民族の歴史や信仰の伝統に求められたようだが、そうした国家を否定するコスモポリタンが拠り所にするのは何だろう。
アラブ世界では国民国家が早々に限界を見せたことから、イスラーム主義が再び台頭しつつある。
身近なところでも、大陸中国は中華思想に基づいてアメリカ中心の国際秩序に対抗しようとする動きを見せている。
こうした緊張対立関係を戦争という手段によらずに解決することは可能なのか。
今世紀の国際社会を秩序立てる原則はどんな標語で表されることになるのか。
欧米主導の「普遍的」価値観が揺らぎを見せる中、今後の世界の動向が注目される。

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